心メモ                        
                              

2012年

       謹賀新年 2012年1月3日



2011年 

       1月  1日 新年 明けましておめでとうございます
       3月  7日 寄り添う時間
       3月 27日 手をつなぐ子供たち
       4月  4日 つなみ
       7月  9日 いたわりの心
       8月 13日 夏の思い出


 謹賀新年 2012年1月3日
 
 
山形 花笠音頭 男衆


花笠音頭 俯瞰


下関 八丁浜祭り 太鼓引き回し
お正月早々、コケテしまった。二日の午後、近所の天満宮に初詣に向かう坂道の途中で!それも盛大な勢いで、漫画みたいにスッテンコロリンと音が出るほどに!! 転んだ理由が笑ってしまう。「笑い転げる」と言う言葉があるが、まさにその言葉通り、笑いすぎてバランスを崩し道端につんのめるように転んでしまったのである。 一緒に歩いていた娘二人が両側から抱えあげてくれたが、穿いていたジーパンの右膝は大きく裂け、その中から血だらけの膝小僧が覗いていた。 それが又おかしくておかしくて、私の馬鹿笑いはしばらく止まらなかった。「笑い転げるってのを実際に目の前で見たのは初めてだよ。ああ、これってあるんだね?」と変に感心する長女。「そうだね、それも、自分の母親が突然目の前で視界から消えた!と思ったら、地面に転がって笑ってるんだもんね。何かの冗談かと思ったよ」と呆れる次女。 何がそんなにおかしかったのか・・?いや、言ってみれば大した理由ではないのだが・・・ちょっと道に迷った?だけの話なのだが・・。大晦日、元旦、二日と三日間、長女・次女の家族が泊りがけで集まって食べに食べ、飲みに飲んで過ごしたお腹が全員満タン状態で、いつもなら車で行く初詣を女達は「歩いて行こう!」と言うことになった。少しくらい歩いて運動でもしておかないと、夕食が美味しく食べられないしブタになってしまうからだ。娘達の亭主は「今更無駄だと思うけど、勝手にすれば。天満宮に着く直前に電話してよ。車で追いつくから」と手をひらひら振って私たちを送り出した。 「いつもの大通りの平坦な道からじゃなく、坂上に上って行こう!こっちの道からの方が上がったり下がったりで体脂肪が減るかも・・」と私が言い出し、「こっちの道が近いのよ」と道案内していたのだが、「ママ、このまま行くと山本記念病院に行くんじゃない?さっき見えてた天満宮の幟も無くなったし、鐘の音もどんどん遠くなって、なんだか天満宮からどんどん離れて行く気がする」と娘達が途中で言い出した。「いいのよ。大丈夫!ママはここに何年住んでいると思ってるのよ!」と自信を持って言い切った私であるが、大分歩いてからふと気がついた。<道を間違えたかも・・?!>新年早々又やらかしてしまった!と思った途端、お腹の皮がよじれるほどおかしくなり、笑いがこみ上げてウッハッハ!とのけぞった時には地面に転がっていたのだった。「これでママの一年が決まったね!気をつけてね」と娘達は労わりながらもニヤニヤ。 なんとか方向転換して辿り着いた天満宮で引いたおみくじも「末吉」で、中身は「大凶」のような文言ばかり! でも、懲りない性格の私はこう思う。例え転んでも、傍で助け起こしてくれる娘たちがいる。転びそうになったら「転ばぬ先の杖」になって支え見守っていてくれる「心の宅急便」のメンバーや友人たちがいる。ああ、安心して転べる私はなんて幸福者なんだろう! おみくじの内容は忘れよう!「末吉」なら後は登る一方だから、先が楽しみだ!と思うことにしよう!こうして2012年脳天気ズッコケ女の一年は始まった。 こんな私ですが、皆様今年もどうぞ宜しく!        ヒロコ・ムトー
今年は5月に母の豆紙人形と私の真似紙人形の「母娘展」をやる予定だ。心の宅急便で 子供たちに私の作品も見せてあげられるように頑張るつもりだ。写真は昨年大晦日に作った山形の花笠音頭と、その前の週に作った下関の八丁浜祭りの太鼓引き回し風景である。


 夏の思い出
 
 
八丁浜 えらいやっちゃ!「おしゃもじ祭り」


おしゃもじ祭り後ろ姿
今日は盆の入りの日である。場所によっては7月にやる所もあるらしいが 主人が生きていた頃、いつも8月13日になると角地にある我が家の三角庭の 前でおがらを焚いて亡き人を迎えに行っていたから、私も昨年からそうしている。 仏事でも何でもよく知っていた主人は一昨年10月に帰らぬ人となった。 仏事だけでなく一般的な祭りごとなど世の中のしきたりに疎い私は、主人が いなくなってからはもう訊く人がいなくなったので、彼がしていたことを ひとつひとつ思い出してはご近所の物識りな方に伺いなおして確認をしている。 私が特に仏事に疎いのは、5年前に亡くなった母がクリスチャンで、家では 盆祭りなどをしていなかったからかもしれない。何でも生き字引のように知って いた母だったが、仏壇の前に何かお供え物をしていた記憶が私にはない。 夏と言えば、幼い頃の懐かしい思い出と言ったら祭りである。盆踊りに行ったり お寺の境内で金魚すくいをやったり、祭りの神輿や着物を着た女の人が踊り ながら練り歩く姿に心を躍らせたり・・・ 豆紙人形作家だった母の作品に「日本の祭りシリーズ」がある。母の故郷下関の 八丁浜祭りや亀山神宮祭り、お上臈が男衆やかむろを従え練り歩く先帝祭り、 山形の紅花祭りなどである。それらの作品は2005年にパリ日本文化会館で 母の豆紙人形展を開催した際に、パリに寄付してきた作品で日本にはない。 私は今、日本にないそんな母の作品を写真を見ながら「真似紙人形」作りをして 再現しているが、一昨日、祭りシリーズの中の八丁浜「おしゃもじ祭り」を作ってみた。 この祭りは、人柱となって唐戸発展の礎となったお亀さんの功績を称え、約1000人の 踊り手がしゃもじを持って「八丁浜えらいやっちゃ!」と掛け声をかけて踊るそうだ。 母の作品でしか見たことのない遠い九州の地での祭りだが、被災地の方を励まし 少しでも元気になっていただくよう、祈りをこめて作ってみた。



  いたわりの心                                                                              
   
母さん お肩をたたきましょう?


 人は自分自身がその立場になってみないと なかなか気づかないことがある。 私が今、心の宅急便の講演で子供たちに伝えている「いじめの怖さ 悲しさ」も それが原点である。 子供たちはほとんどの場合、いじめをいじめと自覚しないでいる。高学年になって 意識的にやる子もいるだろうが、それは本当に少数だ。子供たちは自分が「いじめ」 に遭うまでは、自分が加害者になっていたことがあることすら気づかない。 「もし あなたが今 そうされたらどうしますか?」 「もし あなたが今 そう言われたら どう感じますか?」 私が心の宅急便の講演で子供たちに必ず問いかけるその言葉は、「もし 自分が?」 と、想像し考えてもらうことが狙いである。自分がやられて悲しいこと辛いことを 誰かにしていないか?それを振り返り、自分の心を見直す時間を子供たちに持って もらいたいから。 「本当に、その立場になってみないと気づかないものですね」 奥さんが車椅子生活になって介護しているSさんが、ため息をつきながら言った。 「日本が体の不自由な人に対して、こんなにも優しくない国だとは知りません でした」 病院から退院した奥さんに気晴らしをしてもらおうと、車椅子を押して外出したSさんは あまりの不自由に驚いた。電車に乗ろうにも改札口から乗り場までの移動がスムーズに 行かない駅が多すぎる。何処かの店に入ろうとしてもバリアフリーになっている店が 少な過ぎる。デパートのトイレに車椅子専用の表示があること、そして右利き左利きの両用を設備していることは初めて気がついたが、意外にその配慮が足りない有名病院があったりする。「妻がこうなるまで、そんなこと少しも気づかなかった。気づこうとしなかった」Sさんはそう言って視線を落とした。「でもね、こないだ、こんなことがあったんです」Sさんの目が輝いた。 新宿のあるデパートで奥さんの車椅子を押しながらエレベーターを待っていたところ、 ドアが開いたら満員だった。<日曜日にデパートに来るんじゃなかった・・>そう思った とたん、エレベータ係りの女性がドアを押さえてこう言った。「皆様、このエレベーターはお年寄りやお体の不自由な方を優先しております。どなたか宜しくお願いいたします」 するとすぐに5、6人の人がサッと降りて「どうぞ」と手を差し出した。 「ありがとうございます」Sさんは胸が熱くなった。呼びかけてくれた女性のやさしさと それにすぐ応えてくれた人々のいたわりの心に深く頭を下げてエレベーターに乗り込んだ。 「日本人はまだまだ捨てたもんじゃないですね」そう言った私にSさんは微笑んだ。 「国は、まだまだだけどね」


 つなみ                                  
  アメリカに住んでいる姉から、下記のメールと共に動画「つなみ」が送られてきました。今、日本人が一番求めている答えを教えてくれている気がしました。ぜひ ご覧ください。          ヒロコ・ムトー
海外にいる私の友人が、こんなYouTubeの動画を紹介してくれました。 米国のノーベル賞作家パール・バックの日本童話『つなみ』(1947年刊)をもと に作られたものです。 パール・バックは、かつて日本の漁村に住み、今回と同じように大地震と津波 を経験しました。 60年以上も前の作品ですが、まさに今の日本の状況にぴったりです。 多くの人が住むまちを一瞬にさらっていってしまった大津波と、それを乗り越 えて生きる人間のたくましい心。 読んでいて、涙が出てきました。 「ふるさと」のやさしいギターメロディとともに、心が癒されます。 被災者の方だけでなく、多くの方にぜひ聴いてほしいと思います。 http://www.youtube.com/watch?v=uiIbBiUnMxs


 手をつなぐ子供たち
   今朝のS新聞朝刊裏表両面一杯に被災地の子供たちの輝くような素晴らしい笑顔の写真が載っていた。「早くみんなに会いたい」「ゲームがしたい」「家に帰りたい」「みんながんばってます」などと手に手にプラカードを持っているが、その子供たちの屈託の無いはじけるような活き活きとした明るい笑顔に涙が出るほど感激した。 背後には体育館の冷たい床にダンボールが布団代わりに敷かれ、椅子やテーブルには毛布がうず高く重ねられ、未だ悲惨な避難状態が映し出されている。子供たちの足元も上履きなしの靴下一枚だ。カメラがここまで入れるようになり、飢えをしのぐ物資は少しは増えたかもしれない。でも、通常の生活には果てしなく遠い。今まで持っていた当たり前の幸福はこの災害で根こそぎ奪われてしまっている。辛いだろうと思う。不安だろうと思う。叫びたいほど悲しい思いをしていると思う。だが、この状況下にあって、それを一瞬忘れさせてくれるほど子供たちの笑顔は生命力に溢れていた。彼らの身体からは「希望」「勇気」「未来」の言葉が眩いほどに感じられた。 今回の3・11大震災後、海外に住む友人からも心配のメールや電話が沢山入った。その中で、シアトルに住むE子さんの言葉が印象的だった。 「日本を離れてもう三十年になります。でも、今回くらい母国日本を、日本人を誇らしく思ったことはありません。これほどの被害に遭いながら、互いに互いの身を案じあい、家を失い、家族を失い、仕事を失いながら、明日への希望を失わず、人間への信頼を失わず、 復旧に向けて前へ向かって生きている。日本人て素晴らしいと心から思いました」 他国での大きな津波やハリケーンの大災害時、一部の人々が暴徒と化しコンビニやスーパーに強奪に入ったり、欲や自分を守るため、殺傷事件が続発した映像は私たちの目にまだ生々しく残っている。世界中の目が見守る中、1000年に一度の未曾有の災害の中で、日本人は日本人としての最高の姿を見せてくれた。 未来に向かって手をつなぐ子供たち、今、私たち大人は、人として何をしなければならないか、何を考えなければならないか、これからこの子供たちをどう守れるか、どう助けて行くべきかを問われている。


 寄り添う時間
                                                                                      
 
          金魚すくい







 姉のように慕っているOさんが脳梗塞で倒れた。大学入試で大阪から上京してきた時、入れ替わりに大阪に嫁ぐ姉の紹介で私の世話をしてくださった方だ。それ以来、ずっと私にとっては家族同然の存在である。東京の大学に入学して下宿先が決まるまでの一ヶ月間、私はOさんの実家でお世話になった。その間、受験勉強だけしかしてこなかった私に、Oさんは一人で生活できるようにお料理や下宿先での心得、大学生活のイロハなどを懇切丁寧に教え込んでくれた。 今考えればOさんはその時大学を卒業したばかり、たった四歳しか違わなかったのに、私にはOさんがうんと歳の離れた大人に感じていた。実際、Oさんは何でも出来た。優しくて明るくて魅力的で、そして頭のいい人だった。 Oさんはその後学生時代からのボーイフレンドと結婚し、二人の息子に恵まれ、そのまま素敵な中年となり、素敵なシルバー世代に入った。優しくてハンサムで足の長いご主人も会社でどんどん出世し、どんどん風格のある男性になり、仲睦まじい二人が一緒に寄り添っている姿はまるで絵のように幸福な風景で、私の憧れでもあった。 そのOさんが脳梗塞で倒れた報せを受けた時、目の前が暗くなった。Oさんにもしものことがあったら・・!そう考えるだけで病院にお見舞いに行くのが怖かった。ここ数年、大切な人が何人か旅立っている。誰か大切な人が病気と聞くだけで胸が苦しくなる。 Oさんの症状は軽くはなかった。下半身と左腕が動かない。昨年11月に倒れ、先月からリハビリを始めているが、まだ左腕は動かず、自分の力で立ち上がることも動くことも出来ない状態だ。 「でもさ、君は意識障害が全くなかったんだよ。凄いことだ。リハビリをさせてくれるってことは、治る可能性があるからなんだよ」 こんな身体になってまで生きていたくないと涙するOさんに寄り添って、やさしく言いきかせながら介護するご主人がそう言った。毎日病院に通い、笑顔が無くなったOさんに「おっ、今日は肌の色が綺麗だぞ。病院にいるせいか色白になったな」と、何かいいことを見つけては嬉しくなるような言葉をかけている。そのご主人に少女のように甘えて我儘を言ってすねるOさん。その寄り添う姿が素敵だった。今まで見たお二人のどの姿よりも素敵だった。寄り添う時間に必ず来る春を見た気がした。


 新年 明けましておめでとうございます
                                  
    
  真似紙人形  ヒロコ・ムトー作
 2011年になりました。昨年は児童虐待や小学生のいじめ自殺など、悲しい事件が沢山 ありました。どうしてこんなことが何度も何度も起きるのだろう?とニュースを聞く度 胸が痛みました。この世の中に生を受けた誰もが幸せに生き愛されて生きる権利を持って いるのです。生きてさえいれば、必ずそれを手に入れられる、と言うことを周囲の大人が 子供たちに教え守ってあげなければ・・と強く思いました。 何かが起きる前に、助けを求める子供のシグナルを見逃さず救えるよう、もっともっと 私たち大人が心を開きアンテナを立てねば!とそんな風に思いました。 上記の写真は、88歳から豆紙人形を作り始め93歳で他界した母、マサコ・ムトーの 作品を真似して昨年末から作り始めたものです。不器用な私には出来ないと頭から思い 込んでいましたが、作り始めたら面白くて面白くてどんどん作りたくなってきました。 何でも「出来ない!」と思い込む前にやってみるものですね。 目も足も不自由で、おまけに体中難病に侵されていた母でしたが、病気や年齢を言い訳に して「出来ない」と言うことを一切言いませんでした。いつも明るく前向きに生きていました。そんな母を思い出しながら真似紙人形に挑戦しています。母が遺してくれた言葉 「人生 遅すぎることはない」を噛みしめながら